
試合後の静けさというものがあります。
歓声が消え、照明が落ちても、ピッチにはまだ選手たちの息遣いが漂っている。
その余韻のようなものが、時に私達の胸にも宿ります。
最近はといえば、モハメド・サラーとアルネ・スロット監督にまつわる話題のようなものが、いろいろな角度から取り上げられ、あるいは厳しい意見もありますね。
そこで私は思うのです。
大切なのは、その陰にある選手の体温であり、心の奥にある真実なのだろうと。
それは監督とて同じです。
今日は、アルネ・スロット監督の会見を拾い上げつつ、2人の間に流れるものを見つめてみたいと思います。
■CL、インテル戦を前にした会見
現地時間の火曜日夜にインテルとのチャンピオンズリーグを戦うリバプール。
サン・シーロにおいて月曜日にはスロット監督が会見を行いました。
そこで出た話題の大半は、モハメド・サラーとの関係で、これは時節柄致し方ないのかもしれません。
■「誰を指しているのか」は語らなかったスロット監督
“バスの下に投げ捨てられた”
サラーが言ったとされるこの表現について問われても、スロット監督は推測を避けました。
「答えられるのはモー本人だけだ」
その言葉には、余計に火種を大きくしないための冷静さと、不用意な断言を避けるというスロット監督らしい慎重さが出ていたように思います。

■サラーの遠征不帯同──クラブとしての判断
今回のミラン遠征にサラーが帯同しなかったことは、スロット監督が本人に直接伝えた一つの事実。
リーズ戦以前には何度か会話をしていたものの、試合後にサラーが語った言葉には、監督自身も驚いたといいます。
スロット監督はサラーを批判することはしていません。
ただ、発言の行間に監督が持つ厳しさを垣間見ることはできます。
「選手がどう感じるかは彼の権利だ」
そう語りつつ、クラブとしての判断として
“今回は遠征に連れていかない”
という対応を示しています。
淡々と話す姿勢が、逆に強い気持ちを感じさせるものでもあったように思います。
■「ベンチスタート」の理由は戦術
ここ最近、サラーが先発から外れていたことについて、スロット監督は非常に具体的に説明しています。
こういうとき、理由を具体的に述べる監督と、むしろ別の言葉を選ぶ監督に分かれると私は思いながら、スロット監督の言葉に耳を傾けました。
・ロングボールへの脆さ
・中盤の人数を確保するための調整
・4-4-2のダイヤモンド型での対応
・エキティケ、ガクポ、ヴィルツとの組み合わせ
右サイドでエキティケを使ったのは、サラーを否定するものではなく、チーム全体の最適化を考えた結果だと。
戦術を優先することは、監督にとって重要な判断材料になり得ます。
一方で、ではサラーに対してどういったケアをしたのか?
それを語る資格は、私にはありません。
なぜなら、それは想像になってしまうからです。

■関係は破綻していない。ただ、同じ温度ではないのかもしれない
スロット監督は明確にこう語っています。
「関係が壊れたとは感じていない」
ただ、その一方で、
「彼がどう感じるかは彼の権利だ」
とも語りました。
この“わずかな温度差”こそ、
いま2人を包む空気の一端なのかもしれません。
破綻ではなく、揺らぎ。
対立ではなく、すれ違い。
そうした繊細なニュアンスが読み取れます。

■リバプールでのサラーの未来
「サラーはもうリバプールでプレーしないのか?」
というストレートな質問にも、スロット監督は断言を避けました。
「分からない。今は答えられない」
未来を無責任に語らない姿勢は、監督として誠実です。
ただ、こういう場合、まったく異なる言葉を選ぶ指揮官もいることでしょう。
ここに、スロット監督の理論性を見る気がします。

■揺らぎをそのまま受け止めるということ
サラーとスロットの関係を「破綻」と呼ぶのは簡単です。
しかし、私に言えるのは両者ともプロフェッショナルであるということ。
どこかでプロとして折り合いをつけてゆくこともあるかもしれない。
私は思うのです。
フットボーラーとて人間であり、そこには心の揺らぎもあるだろうし、抑えられない感情が噴き出すこともあるだろうと。
それは監督も同様であり、彼等は一個の人間です。
無論、世界的に脚光を浴びるスター達には、人としての模範であってほしいという思いもありますが、それは私の願望でしかありません。
私達ファンにできること。
過度に断定することでも、誰かを責めることでもなく、
静かに見守ることかもしれません。
今、リバプールには、確かに難しい空気が流れています。
しかし、その空気の中にも、前へ進むための光はきっとあるはず。
その光を手繰り寄せることが、今すべき最たるもののように私には思えるのです。
