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ゲルト・ミュラーさん逝く 心から御冥福をお祈りします

Gerd Muller


フットボール界にその名を刻むレジェンド。
バイエルン・ミュンヘンで活躍をし、西ドイツ代表としても数々の偉業を達成したゲルト・ミュラーさんが亡くなったとの報に接しました。
まずもって、心から御冥福をお祈りいたします。

ゲルト・ミュラーさんが亡くなったことは、15日、バイエルン・ミュンヘンが発表したそうで、私はBBCのニュースで知りました。
現役時代は、ボンバー(爆撃機)のニックネームで知られ、とにかく典型的なストライカーでした。
彼ほど相手ゴールネットを揺らした選手はいないと言えるほどに。

ゲルト・ミュラーさんは、1945年11月3日生まれで、享年75歳。

私は、小学校高学年~中学生になる頃、海外のサッカーを好きになり、リバプールファンになったわけですが、当時は西ドイツを象徴する選手としてゲルト・ミュラーさんとフランツ・ベッケンバウアーさんの存在がありました。
ボンバーの名がついたように、恐るべき決定力をもっており、バイエルン・ミュンヘン在籍時代には、公式戦607試合に出場し566ゴールを決めています。
また、西ドイツ代表としての成績も凄まじく、62キャップで68ゴール。
凄すぎる数字ですね。

ゲルト・ミュラーさんが決めるゴールには特徴があって、いわゆるファイン・ゴールとかゴラッソとか・・・。
そういったものよりも、とにかく泥臭いゴールが多かった。
密集した相手ボックス内で、ディフェンダーに囲まれても動じず、コロココロコロとシュートを決めてしまう粘りとしぶとさがありました。

私はリバプールファンでしたが、当時はブンデスリーガをはじめとする試合も観ていたし、フランツ・ベッケンバウアーさん、ヨハン・クライフさんが来日した際には、スタジアムで生の姿を見る幸運に恵まれました。
ただ、ゲルト・ミュラーさんのプレイ姿は、テレビでしか観ることが出来なかった。

あの頃、バイエルンの西ドイツの2枚看板として、ゲルト・ミュラーさんとベッケンバウアーさんは凄い人気でしたから、日本で放送されるcmにも出ていたことが思い出されます。
あれは、adidasのcmでした。

ゲルト・ミュラーさんにとって、ひとつのクライマックスは、西ドイツワールドカップで、ヨハン・クライフさんを擁するオランダと決勝で戦い、チャンピオンになったことですね。
あの大会、絶対にオランダが最高のチームだと言われていました。
しかし、しぶとく決勝ゴールを奪ったのが、誰あろうゲルト・ミュラーさん。

話は尽きませんが、一世を風靡したレジェンドに、心からの拍手を送ります。
フットボール史に残る世界最高のストライカーの1人。
ボンバーが残した功績は、末永く語り継がれることでしょう。

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