Liverpool FCを応援するブログです REDS戦士とアンフィールドの人々が大好きです。  Written by Toru Yoda

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ヨハン・クライフさん死去 どうぞ安らかに RIP Johan Cruyff


フットボール界にとって、とても残念なニュースが入ってきました。

ヨハン・クライフさんが亡くなったことが公式Twitterにて発表されています。

リバプールファンの一人として、心から哀悼の意を表します。

どうぞ安らかに眠ってください。

私は、中学生時代からリバプール一筋に応援をしていますが、ヨハン・クライフは特別な存在でした。

クラブでの実績も素晴らしいのは勿論ですが、私が最も印象に残っているのは、何といっても1974年の西ドイツワールドカップにおける活躍です。

オレンジ旋風!とも呼ばれたトータルフットボールは、見る者を驚愕させ、後年のフットボールの形をつくったといっても過言ではないと思います。

ヨハン・クライフ。
とにかく華麗でした。
芸術家の如し。

西ドイツワールドカップでは、誰もが最強のチームはオランダだ!と、信じて疑わなかった。
あのブラジルやアルゼンチンをしても、まったく相手にならなかったほどの強さでした。

惜しくも、決勝において、ホスト国の西ドイツに惜敗しますが、そのときには、「一番良いチームが優勝するとは限らない」と、よく言われたものです。

また、ヨハン・クライフといえば、その背番号14にまつわる逸話が印象的です。

当時のフットボールは、ポジションごとに番号を付けることが慣例になっており、簡単にいえば12番以降はスタメンではないことを意味していました。

しかし、そんな時代にヨハン・クライフは、自分の番号として14番を選んだ。
これは、9番や10番には、既に代名詞になっている先達がおり、自分のナンバーとして歴史に残したかったという気持ちからだと聞いています。

ヨハン・クライフは、現役としての晩年、アメリカへ新天地を求め、その際来日も果たしております。
私こと、その試合を観にいきまして、ヨハン・クライフを間近で見る幸運に恵まれました。

当時の日本では、サッカーなんて客も入らず、ましてや国立競技場で試合をするなんていったら、良い席が取り放題でした。

目の前で見たヨハン・クライフのオーラ、芸術性、ボールタッチの上手さ、ポジション取りの巧みさ。
すべてが、この眼に焼き付いています。

私なりに、ヨハン・クライフを一言で表現すれば、「フットボールの革命児!」。

ヨハン・クライフがいなかったならば、現代フットボールの形は違ったものになっていたことでしょう。

偉大な14番に、重ねて心から哀悼の意を表します。

RIP Johan Cruyff

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