102年前の今日、1913年9月2日は、リバプールの歴史でも最も偉大な功績を残した男、ビル・シャンクリー生誕の日です。
ハッピー・バースデイ・ビル!
リバプール栄光の歴史は、ビル・シャンクリーから始まったと言っても過言ではないと思います。
それほどまでに、リバプールというクラブにとって、重要な位置にある偉大なる存在だと言っていいでしょう。
歴史を感じさせるのは、ビル・シャンクリーの現役時代に起こった出来事です。
プレイヤーとして、活躍していた道半ばで、第二次世界対戦が勃発。
フットボールのリーグ戦は、中止とされ、ビル・シャンクリーは、プレイをする機会を奪われました。
ようやく終戦となり、リーグ戦が再開した直後には、現役引退・・・。
しかし、ビル・シャンクリーのキャリアが花開くのは、指導者としての道を歩みはじめてからでした。
リバプールの監督に就任したのは、1959年のこと・・・。
ビル・シャンクリーが、リバプールの監督になった時期は、8年間も2部リーグに沈んでいるという低落期でありましたが、ビル・シャンクリーは、見事にチームを鍛え上げ、就任3年目にして、クラブをトップリーグへと押し上げました。
さらに、昇格2年目にして、トップリーグで優勝を飾るという偉業を成し遂げています。
また、ビル・シャンクリーの凄さは、監督時代の実績だけではありません。
素晴らしい功績を残した監督は、他のクラブにもいますが、ビル・シャンクリーが、傑出しているのは、しっかりと後継者を育てて、次世代において大輪の花を咲かせたことです。
その後継者こそ、ボブ・ペイズリー。
リバプール最高潮、黄金時代を築いたボブ・ペイズリーに指導者哲学を植え付けたのも、ビル・シャンクリーでした。
偉大な監督が、代わってしまったら、さっぱり・・・という状況にはしなかったところに、凄さを感じます。
ビル・シャンクリーは、1981年9月29日、天国へと旅立ちました。
それでも、リバプールの人々は、シャンクリーゲートと名付ける門をつくり、いつまでも、その恩を忘れることはありません。
本当に、偉大な監督でした。
これからも、天国で見守ってくれますように。