Liverpool FCを応援するブログです REDS戦士とアンフィールドの人々が大好きです。  Written by Toru Yoda

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ハッピー・バースデー! ケビン・キーガン!

Kevin Keegan


1970年代はリバプールの時代でした。
そんな時期、エースとしてアンフィールドのピッチを疾走していたのがケビン・キーガン。
リバプールの代名詞でもある7番を背負ったレジェンドは、2月14日生まれ。
誕生日を迎えました。

ハッピー・バースデー!

ケビン・キーガンは、1951年生まれですので、71歳になりました。
無尽蔵のスタミナで、ピッチ狭しと駆け回る姿は、今も脳裏に焼き付いています。
小柄な選手ではありましたが、その分機動力があり、決定力も並外れていた。
また、ケビン・キーガンは、チャンスメイクも出来たし、ドリブル、シュート、パスと、あらゆる面において秀でており、フットボールの神様に愛されていたかのよう。
身長は低い部類に入るものの、ヘッドに入るタイミングが良く、そこもケビン・キーガンの優れたところだったと思います。

ケビン・キーガンがリバプールに在籍をしていたのは、1971-1977の期間で、その間323試合に出場し100ゴールを記録しています。
リバプールでのデビューを果たしたのは、1971年8月14日のこと。
彼の才能に目をつけたのは、カリスマ、ビル・シャンクリーであり、ケビン・キーガンは、その期待に見事に応えてくれました。

私がリバプールファンになった時期、7番を背負っていたエースがケビン・キーガンでした。
部屋には、ケビン・キーガンのポスターを貼っていたという・・・。
ケビン・キーガンですが、クラブマンだと言っていいと思います。
リバプールのエースとして活躍し、ヨーロッパで大輪の花を咲かせるのはハンブルガーSV時代。
ただ、ケビン・キーガンの時代、イングランド代表は低迷期を迎えていたことも確かです。

ワールドカップ予選では、2大会続けてイタリアと予選で同組となり、相次いで予選敗退。
ようやくイングランドが、ワールドカップ出場を勝ち取った時期には、既にケビン・キーガンのピークは過ぎており、怪我もあったことからほろ苦いワールドカップとなったことも事実です。

ヨーロッパのフットボールが進化して行く中、イングランドは頑なに古き良き時代のスタイルを守ろうとしていました。
いわゆるキック&ゴー!
ハイボールをゴール前に上げてのパワープレイと。
ただ、イタリアに2大会続けて敗れもし、新しいスタイルに脱皮しようとする。
そんな過渡期がケビン・キーガンにとってのベストな時期だったと思います。

ワールドカップとは縁がなかったスーパースターといえば、私はデンマーク代表のアラン・シモンセンを思い出します。
シモンセンも小柄であり、クラブでは7番をつけていました。
当時の私は、よくケビン・キーガンとアラン・シモンセンを重ね合わせて見ていたものでした。

小さな巨人がアンフィールドを疾駆する。
コップはケビン・キーガンをマイティ・マウスと呼び愛した。
今日この日にあたり、ケビン・キーガンの誕生日を祝うとともに、いつまでもお元気で!と言わずにはいられません。

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