インターナショナル・ブレイクということで、時にはこんな話題も?
ということで、ちょっと趣を変えて、タイトルのようなことに触れながら、多少、自分の思いも織り込みたいと思います。
リバプールのクラブ史上で最も偉大な選手10人とは誰なのか!?
LFCの大規模な企画
クラブの“史上最高の選手”を決める大規模な投票企画をリバプールFCが行っています。
先月スタートしたこの投票では、ファン、元選手、ジャーナリスト、さらにクラブ関係者による選出をもとに、リバプールの歴代男子選手トップ100がランキング形式で決定され、今夏に発表される予定です。
リバプールのクラブ史上!と言えば、偉大な選手が多数いますし、プレミアリーグに限定していないので、確かに大規模ですね。
キャラガーの選考をたたき台にして
これから結果が発表されますが、この話題を取り上げるには、何らかの参考事例がほしいですよね。
この度、ジェイミー・キャラガーがLiverpoolfc.comのインタビューに応じており、彼の10人が公開されました。
キャラガーのことですから、かなり意表を突くものか?と当初は思った私ですが、結構真面目に考えていたことは明らか。
キャラガーが選んだ10人の特徴
この後、キャラガーが選んだ偉大な選手10人をご紹介しますが、私が注目したのは現役のプレイヤーが2人入っていることでした。
こういう企画の場合、既に引退した名前ならあげやすいと思うのですが、現役の選手を選ぶのは、かなり度胸も必要だろうと私は思ったのです。
この後、トップ10の名前と、それぞれにおけるキャラガーのコメントをご紹介します。
10 イアン・キャラハン
私はまず、“ミスター・リバプール”ことイアン・キャラハンから始めたいと思う。
彼は、私にとってどんなトップ10にも必ず入る存在だよ。
正直なところ、彼のプレーをリアルタイムで多く見たわけではないが、多くの映像は目にしてきた。
彼の出場試合数は、たしか857試合だね、この記録は、決して破られることはないと思う。
地元出身の選手であり、何より私が強く惹かれるのは、その歩んできた道のりだよ。
本当に驚くべきものだ。
彼は、リバプールをセカンドディビジョンから引き上げたチームの一員だった。
もちろん監督はビル・シャンクリーで、彼はそのチームの中にいたんだよ。
若い頃にチームをトップリーグへと押し上げ、その後は数え切れないほどのタイトルを獲得したね。
1977年から78年頃、ヨーロピアンカップ制覇という形でリバプールでのキャリアを締めくくった。
つまり彼は、若き日にセカンドディビジョンからスタートし、最終的にはヨーロピアンカップ優勝へとクラブを導いた。
その道のりは、私にとって本当に素晴らしいものなんだ。
その長いキャリア、継続性もまた特筆すべき点だし、彼は世界で最も素晴らしい人柄の持ち主でもあるんだ。
9 ケビン・キーガン
彼のこともリアルタイムではあまり多く見てはいないが、私はケビン・キーガンを選ぶよ。
彼は、リバプールで成し遂げた功績に比べて、やや過小評価されている部分がある選手だと思うんだ。
というのも、その後にケニー・ダルグリッシュが現れ、さらにクラブを別の次元へと引き上げたからだろうね。
しかし、ビル・シャンクリーのもとで彼が成し遂げたこと、そして当時の選手たちがクラブをどこまで押し上げたのかを考えれば、彼ら抜きに現在のリバプールは存在しなかったと言っても過言ではない。
キーガンはまさに真のスーパースターであり、当時のヨーロッパでも屈指の選手だった。
1977年にリーグ優勝、さらにはヨーロピアンカップ制覇を果たしたチームにおいて、その中心にいたのが彼だ。
ヨーロピアンカップ決勝は、彼にとってリバプールでの最後の試合でもあったね。
ベルティ・フォクツにマンマークされながらも、その守備を翻弄し、リバプールを初のヨーロッパ制覇へと導いたんだ。
あの時代、初期の偉大なリバプールを象徴するチームにおいて、彼はまさにスーパースターだったよ。
8 フィルジル・ファン・ダイク
フィルジル・ファン・ダイクは、この10年におけるリバプールの運命を完全に変えた選手の一人だ。
リーグ優勝、チャンピオンズリーグ決勝進出、そしてヨーロッパ制覇、そのすべてに大きく貢献した。
あのレベルでのプレーが、時にまるで簡単なことのように見えてしまうのだからね。
私にとって、彼はプレミアリーグ時代で見てきた中で最高のセンターバックだし、間違いなくフットボール史においても最も偉大なセンターバックの一人だ。
彼は対峙する選手たちよりも明らかに一段上にいる存在であり、トップクラスのストライカー相手でさえ、どこか余裕を感じさせる場面があるんだよね。
彼のパスレンジ、スピード、ボールコントロールと、どこを取っても弱点らしい弱点が見当たらないからすごいものさ。
ユルゲン・クロップのチームはもともと素晴らしいものだったが、彼が加入して初めて、もう一段階上のレベルへと引き上げられたと感じたよ。
移籍金7500万ポンド、あれはまさに掘り出し物だったね。
7 アラン・ハンセン
ここでもう一人、センターバックを挙げたい。
つまり、私にとってフィルジル・ファン・ダイクはリバプール史上最高のセンターバックではなく、ごくごく僅差の2番手なんだ。
その頂点に立つのが、アラン・ハンセンだよ。
私がハンセンに魅了される理由は、彼がほぼすべての偉大なリバプールのチームに関わってきた点にある。
唯一挙げるとすれば、あと1年早く加入していれば1977年のチームの一員になれたかもしれないということかな。
実際には1978年にチームは少し変化し、彼やグレアム・スーネス、ケニー・ダルグリッシュといった存在が前面に出てくる形になった。
彼は1970年代後半のチームの一員であり、さらに1980年代前半から中盤にかけて、リーグ優勝3回、ヨーロピアンカップ制覇、そして数多くのミルクカップ優勝を果たしたチームにも属していた。
その後も、ジョン・バーンズ、ピーター・ビアズリー、ジョン・オルドリッジらを擁した1980年代後半の偉大なチームにも名を連ねていたんだ。
彼は、数多くの黄金期をまたいでプレーした存在ということだね。
その後、リバプールが長くリーグ優勝から遠ざかる時期に入ったのは、ハンセンが引退してからだったと私は思うよ。
それが再びそれが動き出したのは、おそらくファン・ダイクが登場してからだろう。
その間のセンターバックたちは一体何をしていたのか、と思わずにはいられないよ!(キャラ自身のこと)
彼は、そのプレースタイルにおいて時代を先取りしていた選手だった。
映像で見ても、私が彼の現役終盤を少しだけ見た印象でも、当時の他のセンターバックとはまったく異なる存在だったね。
当時はヘディングし、蹴り出し、相手も蹴るなんていう守備が主流だったけど、ハンセンはまったく違ったよ。
繰り返すけど、彼こそがリバプール史上最高のセンターバックだ。
6 モハメド・サラー
エジプトの王――モハメド・サラー。
彼はどんなトップ10においても必ず名を連ねる存在であり、あとはその順位がどこになるかというだけさ。
私がサラーに対して最も魅力を感じるのは、その圧倒的な継続性だよ。
得点力や能力の高さはもちろんだけど、それ以上に長く高いレベルを保ち続ける力に心を惹かれるね。
ここ約10年にわたるこの偉大なリバプールを思い浮かべるとき、私はアリソン・ベッカー、フィルジル・ファン・ダイク、そしてサラーの3人を思い浮かべるんだ。
それはちょうど、1980年代のチームを語るときにアラン・ハンセン、グレアム・スーネス、ケニー・ダルグリッシュを思い浮かべるのと同じだね。
チームの背骨とも言える存在であり、この3人こそが今のリバプールの地位を築いたと言っていいだろう。
さらにサラーの素晴らしい点は、悪いシーズンがほとんどないことだ。
どんな偉大な選手でも調子を落とす年があり、翌年に盛り返すことがあるけど、サラーは違う。
毎シーズンのように30ゴールを記録し続けているんだ。
それに、彼のすごいところは、ほとんど怪我をしない。
私は、毎週のようにスタメンに名を連ねる選手が大好きで、サラーはまさにその象徴だよ。
特にマンチェスター・ユナイテッド戦をはじめとする大一番での実績、数々の象徴的な瞬間も含めて、彼は間違いなくリバプール史上屈指の選手であり、偉大なゴールスコアラーの一人だ。
5 イアン・ラッシュ
リバプール史上、そしておそらく今後も破られることのない最高のゴールスコアラー!
それがイアン・ラッシュだ。
クラブで記録した346ゴールという数字は、決して破られることはないだろう。
彼は1980年代の偉大なチームの中心であり、あらゆるタイトルを勝ち取ったね。
そして個人的には、幼い頃の私にとって悩みの種でもったんだ。
エバートン戦で何度もゴールを決められたからさ。
彼はマージーサイド・ダービーでの得点記録も持っているはずだし、1986年と1989年のカップ決勝でのゴールもまた象徴的だった。
当時はリバプールとエバートンが国内最高の2チームであり、FAカップ決勝は現在とは比較にならないほど大きな意味を持つ舞台だったんだよ。
1986年にはクラブ史上初のダブル(リーグ&FAカップ)を達成。
1989年には、準決勝でのヒルズボロの悲劇の後という特別な状況の中でタイトルを手にした。
数え切れないほどのゴール、数え切れないほどの記憶、そして数々のタイトル。
ゴール前での彼は、まさに手の付けられない存在だった。
繰り返すが、346ゴール、この記録が破られる日は来ないだろう。
4 ジョン・バーンズ
ジョン・バーンズとは、私がトップチームで2試合目に出場したときに一度一緒にプレーをしたよ。
ウェストハム戦で、前半の間、彼と私がセントラルミッドフィールドを組んだのさ。
子どもの頃、私は彼のプレーに魅了されていてね。
1987年から1991年にかけて、彼はイングランドで最高の選手であり、イギリス全体でも最高の選手、さらには世界でもトップ5、6に入る存在だったと思う。
左ウイングとしても、センターフォワードとしても活躍した。
実際に一緒にプレーをし、さらに約1年間トレーニングも共にしたが、彼はキャリア晩年に差しかかっていた時期でさえ、クラブで最もテクニックに優れた選手だったよ。
断言できるが、私がこれまで一緒にプレー、あるいはトレーニングしてきたどんな選手と比べても、技術面において彼を上回る存在はいなかった。
私が共にしてきた偉大な選手たちを思い浮かべても、ジョン・バーンズに匹敵する選手は、誰一人いなかったんだ。
リバプールには、ジョン・バーンズが加入する以前にも、1960年代、70年代、そして80年代初頭と、数多くの偉大なチームが存在していた。それでも私は、バーンズはそれまでのリバプールとは違う存在だったと感じているよ。
もちろん、それまでにも優れたウイングの選手はいた。
たとえばスティーブ・ハイウェイやピーター・トンプソン、そしてイアン・キャラハンのように、サイドでプレーする素晴らしい選手たちはいたものさ。
しかしバーンズは、それらとはまったく異なる存在だった。
彼がやって来たことで、リバプールに新しい何か、まるで異なる種類のフットボール、技術、そして能力がもたらされたように感じたものだよ。
それまでクラブが見たことのなかったようなものだったのかもしれないね。
私にとって彼は、クラブ史上最も偉大な選手の一人であり、繰り返しになるけど、私が共にプレーした中でも最高の選手の一人だ。
だからこそ、彼を4位に選んだよ。
3 グレアム・スーネス
グレアム・スーネスは、今でも私の父が「リバプールで見た中で最高の選手だ」と言っている存在だよ。
この国、イギリスにはこれまで多くの偉大なミッドフィルダーがいたが、純粋なセントラルミッドフィルダーとして、彼ほどの選手は存在しなかったのではないかな。
プレミアリーグ時代の名前がよく挙がる中でも、彼のように強さと美しさを兼ね備えた選手は稀だよ。
彼の強さだけでも、その世代を代表するミッドフィルダーになれただろうし、パス能力だけでも同様にトップクラスの存在になれたはずだ。
しかし、その両方を兼ね備えていたからこそ、私は彼を「この国が生んだ最高のセントラルミッドフィルダー」だと考えているんだ。
本気でそう思っているよ。
彼はヨーロピアンカップを3度制覇し、リバプールにはわずか6年間の在籍だったが、その間にリーグ優勝を逃したのは1981年の一度だけ。
その年にはヨーロピアンカップを勝ち取っているからね。
リバプールでのキャリアとしては、まさに圧倒的な成功だと言えるだろう。
最終的にはキャプテンも務めたが、リバプールの他では彼の偉大さが十分に語られていないように感じるよ。
ある時期において、彼はヨーロッパ、そして世界最高のセントラルミッドフィルダーだったと私は思う。
2 ケニー・ダルグリッシュ
さあ、ここが大きなポイントだよ。
残っている名前は分かっているよね。
私が2位に選ぶのは、リバプール史上“最も偉大な存在であるケニー・ダルグリッシュだ。
彼が最も偉大な存在である理由は、選手としての功績だけではない。
監督としての成功、現在に至るまでのクラブにおける象徴的な立場、そして監督時代にヒルズボロの悲劇の際にクラブのために果たした役割、そのすべてが彼を特別な存在にしているんだ。
私にとって、リバプールといえばケニー・ダルグリッシュだね。
ただし今回は選手としての評価に限ったランキングだったから。
彼を1位にしなかったのはそういう理由なんだ。
実際、多くの人が彼を1位に選ぶだろね。
それはまったく正当なことだと思うよ。
なんという選手、そしてなんというフットボール脳を持った男だったことか。
彼を思い浮かべるとき、まず浮かぶのはそのフットボールIQだね。
強さがあり、ボールを収め、戦い、そしてゴールを奪う、すべてを兼ね備えていた。
しかし、特に印象的なのは、彼のゴールのクオリティーだよ。
ただ決めるだけではない。
どこか遊び心があって、チップキックのようなゴールもあれば、ヨーロッパの試合でフィル・ニールへバックヒールでアシストする場面もあった。
ボックス内で相手を背負いながら得点する姿もまた象徴的だったね。
リバプールの選手を語るとき、しばしばテクニシャンという言葉が出てくるが、このクラブの選手はそれだけではないんだ。
彼らは戦う者であり、男でもある。
ダルグリッシュはまさにその象徴であり、グレアム・スーネスと同様に、強さと能力の融合を体現していた。
決して相手に屈することはなかったんだ。
こうした選手たち、こうしたチームに立ち返るには理由がある。
この国において、ヨーロッパを支配した時代を持つクラブは、リバプールの他にない。
彼らはヨーロッパの舞台を席巻していたものさ。
過去にはヨハン・クライフ率いるアヤックス、フランツ・ベッケンバウアーのバイエルン、さらにはアルフレッド・ディ・ステファノや後のクリスティアーノ・ロナウドを擁したレアル・マドリードのように、ヨーロッパを支配したチームは存在する。
しかしイングランドにおいて、そのような時代を築いたのはリバプールだけだよ。
さっき、スーネスについて「その時代の世界最高のミッドフィルダー」と述べたが、それと同じことがダルグリッシュにも言える。
1980年代初頭、彼は世界最高のセンターフォワードだった。
卓越したフットボーラーであり、卓越した人間であり、そして卓越したフットボール脳の持ち主、だからこそ、彼を2位に選んだよ。
1 スティーブン・ジェラード
誰が1位かは、もう分かっているよね。
私の大切な仲間、スティーブン・ジェラードだ。
なぜケニー・ダルグリッシュではなくジェラードを選んだのか。
これは、この企画に関わる誰もが悩む最大のポイントだと思うよ。
もしかすると、私はジェラードと共にプレーしてきた分、彼に肩入れしているのかもしれない。
毎日、そしてすべての試合を共にしてきたからこそ、より多くの瞬間を鮮明に覚えているんだ。
さらに言えば、彼はダルグリッシュやグレアム・スーネス、ジョン・バーンズがプレーしていた時代ほどのタレントに恵まれていたとは言えないかもしれないしね。
それでも彼は、チームを引き上げ、多くのタイトル獲得に貢献したんだ。
その中でも、私が彼を1位に選んだ決定的な理由は2つある。
2005年のヨーロピアンカップ決勝、そして2006年のFAカップ決勝だ。
あの瞬間、彼はチームを、そしてクラブを勝利へと引きずり上げたね。
もちろん過去にも同じようにチームを勝利へ導いた偉大な選手はいたものさ。
しかし多くの場合、彼らにはより多くのサポートがあったとも言えるだろう。
ジェラードを他の同時代の名手と比べるとき、私は視点を入れ替えて考える。
彼が別のチームで何ができたかではなく、もし彼らがあのリバプールにいたならば、ジェラードと同じだけのものを背負い、同じ結末へ導けたのかということさ。
そして私は、やはりあの2005年の決勝、2006年の決勝に立ち返ることになる。
あのパフォーマンスは、まさに時代を超えるものであり、40年、50年先でも語り継がれることだろう。
特にイスタンブール、2005 UEFAチャンピオンズリーグ決勝は、クラブ史上最も象徴的な試合であり、最高の瞬間だと多くの人が認めるはずだ。
その試合におけるジェラードの影響力を考えれば、私にとって彼こそがリバプール史上最高の選手なんだ。
キャラガーの人選を見た感想
これが、ジェイミー・キャラガーが選んだ偉大なる10人でした。
私の感想ですが、何も異論をさしはさむ余地などありませんでした。
それぞれのコメントも良いし、文句のつけようがありません。
特に、この煌びやかな顔ぶれの中に、現役のファン・ダイクとモハメド・サラーを入れてくれたことが、私は嬉しい。
あえて、一点だけ私が異なる意見を述べるとすれば、順番はともかく、私ならこの10人にフィル・ニールを入れたかなという部分です。
それも、では誰を外すのか?と問われれば、それも迷いますね。
リバプールの歴史を創って来たヒーローたち。
プレミアリーグの夜明け前から今に至るまで。
感慨深い思いが、私の胸に去来しています。