時の流れ、歳月というものを意識することがあります。
私の場合には、それは多く、リバプールに何らかの出来事があった場合であったりもします。
時は、1971年に遡り、その年の今日、5月3日には、レジェンド、ケビン・キーガンが晴れてリバプールの一員となっています。
無尽蔵のスタミナを誇り、ピッチを走り回る姿。
コップは、ケビン・キーガンの姿を見て、『マイティ・マウス』という愛称で呼び、愛しました。
これは、ケビン・キーガンが小柄であったことも由縁していることでしょう。
当時、スカンソープ・ユナイテッドに在籍していたケビン・キーガンの才能に目をつけたのは、リバプールの恩人とも言える偉大なるビル・シャンクリー監督でした。
その眼力が、いかに確かであったかを思わせる出来事のひとつでもあります。
また、ケビン・キーガンもビル・シャンクリー監督の期待に応え、リバプールに栄光をもたらしていきます。
ケビン・キーガンがリバプールに在籍していたのは、1971-1977の期間で、公式戦323試合に出場し、100ゴールを記録しています。
あの時代は、西ドイツのブンデスリーガが世界最高峰のリーグで呼ばれており、ケビン・キーガンは新天地をハンブルガーSVに求めました。
その背番号7は、ケニー・ダルグリッシュへと引き継がれ、リバプールのNo.7といえば、特別な番号となっていく。
ケビン・キーガンは、
1951年2月14日生まれですので、69歳になっています。
いつまでも、どうぞお元気でと願わずにいられません。
私がリバプールファンとなり、最初のアイドル、それがケビン・キーガンでした。