シャビ・アロンソが、リバプールに在籍したのは2004年-2009年のことですが、今もなお多くのファンから愛されています。
また、シャビ・アロンソも常々リバプールのことを気にしてくれていますね。
シャビ・アロンソは、自分から望んでリバプールを出たわけではなく、当時のラファ・ベニテス監督から直接頼まれていたことを明かしました。
シャビ・アロンソの自伝的なものがGuardianに掲載されていますが、その中でシャビ・アロンソは、2008年の出来事を振り返っています。
以下、その内容の骨子を一部要約したものです。
(XA)
ラファが私のところへやって来て、とてもはっきりとこう言ったよ。
「シャビ、私達は新しいプレイヤーを獲得したいから、資金が必要なんだ」
資金獲得のための放出リストの先頭には、私の名前があったよ。
私はこう言ったよ。
「オッケー、ラファ、問題ないよ。私はプロフェッショナルだから。分かったよ」とね。
ユベントスが関心を示していた。
アーセナルからも関心を示されていた。
だけど、クラブは合意に達することが出来なかったんだ。
結局2008年には、リバプール(ラファ・ベニテス)が、シャビ・アロンソ放出を試みるも、失敗に終わったということのようです。
その1年後、シャビ・アロンソはレアル・マドリードへと移籍していくことになります。
私は今でも憶えているのですが、シャビ・アロンソにとってリバプール最後のシーズンになったとき、お子さんが生まれるということで、1試合だけお休みをしたことがありました。
するとラファは、次の試合でシャビ・アロンソをメンバーから外した記憶があります。
また当時は、ラファ・ベニテスは、シャビ・アロンソを放出してギャレス・バリーを欲しがっているという噂もかなり報じられていましたね。
要するに、シャビ・アロンソとしては、クラブから必要なしの烙印を押されてしまった状況でプレイを続けていたということになります。
それでも2009年までもリバプールのために戦ったシャビ・アロンソは、やはりプロフェッショナルですね。
監督には、自身の構想があるし、一概にラファを責めるわけにはいきませんが、リバプールがプレミアリーグでの順位を徐々に落とし始めるのは、シャビ・アロンソがいなくなってからでした。
2008年に、その伏線があったわけですね。
それにしても、今更ですが、惜しいプレイヤーを出してしまったものです。
そういった出来事も含めて、クラブの歴史だと言えるとは思いますが・・・。