リバプールと私

リバプールと辛かった時期 それでもレッズは歓びをくれた

Steven Gerrard


読者の皆様へ。
いつも、この場所へお立ち寄りくださり、本当にありがとうございます。
日々、感謝しております。
今回は、多分に私的な内容の文章になることをお許しください。
リバプールと辛かった時期、それでもレッズは、私に歓びを与え続けてくれたし、日常の中心にありました。

リバプールには黄金時代があった。
イングランドトップリーグを制覇したのは、実に18回に及びます。
しかし、ことプレミアリーグが設立されて以降は、いまだ優勝がないことも事実。

リバプールが、最後にリーグタイトルを獲得したのは、1989-1990シーズンに遡らなくてはいけません。
以降、長く栄冠から遠ざかって来た。
それでも、リバプールファンは、決して諦めることなく、変わらずレッズを愛し続けた。
私は、それもまた勲章だと思っています。

結果が出ない時期があっても、リバプールのDNAは流れ続け、ワン・プレイ、ワン・プレイに感動をしたことも沢山記憶に残っています。

Xabi Alonso

タイトルが獲れない時期が続いても、リバプールにはスター・プレイヤー達が確かに在籍し、こよなくコップから愛された。
常にタイトルを狙っていたことは事実であり、勿論そのために補強も行ってきました。
しかし一方で、チームの看板選手が、リバプールを離れ、他のビッグクラブへと新天地を求めることもあったわけです。

愛し、応援してきたプレイヤーがリバプールを去る。
悲しい気持ちになったことさえ何度もあった。
それでもリバプールは、リバプールとして戦い続ける。

2018-2019シーズン。
リバプールは、プレミアリーグで97ポイントを獲得し、首位と1ポイント差という躍進を遂げました。
さらに、イスタンブールの奇跡以来となるヨーロッパチャンピオンに輝いた。

そのときのことです。
何人かの読者さんから、「おめでとうございます!」と、声をかけていただきました。
また、嬉しかったこととして、「リバプールが低迷している時から、依田さんのブログを読んできただけに感無量です」といった趣旨のお言葉をいただいたことがあげられます。

誰だって、不本意なシーズンを送ったり、試合に負けた後には、リバプールの情報に触れたくないと思うものでしょう。
それでも、負けた試合の後であっても、読んでくださる方々がいらっしゃる。
私にとって、これほど嬉しいことはありません。

Fernando Torres

この機会に、改めて、皆様に心からの感謝を送りたいと思います。

私の思い出など、何の意味も持ちませんが、リバプールを好きになった時期、監督を務めていたのはボブ・ペイズリーでした。
まさに、王者として君臨していた時代です。
後年、リバプールは低迷の時代を迎えますが、私は一度たりと、リバプールへの思いを変化させたことはありません。

苦楽を共にするという言葉がありますが、良い時もあれば、悪い時もある。
それを受け入れ、共有し、共に前を向いて進んで行く。
その気持ちだけは忘れないように!と、自分なりに考えて、このブログを書き始めたものでした。

なので、私が書くものは緩く、甘く、厳しさがなく、批評精神がありません。
しかし、細々とはじめたときの初心として、誰がリバプールを批判しても、リバプールを見放しても、自分だけはエールを送り続けよう!というものがありましたので、その初心だけは、変えることなく貫こうと思っています。

Dirk Kuyt

こうして、毎日のように駄文ではありますが、書き続けられるのも、この場に来てくださる皆様のおかげです。
これからも、良い時もあれば、そうでない時もあることでしょう。
歓びも悲しみも分け合って、前へ進めたらいいですね。
長くリバプールというチームを見て来た中で、今の戦力は間違いなく強い。
それは事実です。
ここまでレッズを連れて来てくれた関係者に、心からの敬意を表します。

未熟者、不束者の私ですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
読者の皆様に最高の報告が出来る時を願って、細々とではありますが、これからも少しずつ続けていきたいと思います。
ありがとうございます。

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