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フランツ・ベッケンバウアーさんの御逝去に心から哀悼の意を表します

Franz Beckenbauer


フランツ・ベッケンバウアーさんの悲報を受けて、しばらく物思いに耽っていた自分でした。
月曜日に亡くなったということで78歳の生涯。
まずもって、心から哀悼の意を表します。

なぜに、私がしばし物思いに耽っていたかと申しますと、まさに自分の中学生時代、高校生時代におけるスターだったからです。
あえて、自分の中高生時代を思い出してみると、ベッケンバウアーさんはカイザー(皇帝)と呼ばれており、チームメイトのゲルト・ミュラーさんの愛称はボンバー(爆撃機)でした。
この2人は当時、adidasのCMに出ており、私もadidasが欲しいな~と思ったものの、当時はとても高価で買えませんでしたよ。

ベッケンバウアーさんを語る上でのハイライトのひとつには、1974年に開催された西ドイツワールドカップでの優勝があると思います。
あくまで私個人の中にあっては、ワールドカップといえば、この西ドイツ大会こそが華でありました。
この大会では、ヨハン・クライフを擁するオランダ代表が圧倒的な強さを見せつけ大躍進、オレンジ旋風と呼ばれ、間違いなく大会のベストチームだと言われたものです。

そのオランダと決勝で対戦したのがホスト国の西ドイツであり、ベッケンバウアーさんはキャプテンでした。
少なくない人々は、「でも最高のチームはオランダだった」と言ったものですが、ベッケンバウアーさんは「勝ったものが強いのだ」という言葉を残しています。

個人的な思い出でいえば、ベッケンバウアーさんが来日をした際、私はサインを貰うためにバスの到着を待っていました。
当時の日本は、サッカーといってもマイナーなスポーツであり、海外のスター選手が来ると、気さくにサインをしてくれたものですから、味を占めていた部分もあります。
しかしながら、さすがはカイザー、ベッケンバウアーの場合には警備がすごくて、まったく近づくことが出来なかったことも思い出です。

ベッケンバウアーさん、クライフさん、そのいずれをもスタジアムで観ることが出来た自分は幸せ者。
今、つくづくそう思っています。
当時、リベロと呼ばれるポジションを担っていたカイザー。
御霊よ安らかに。

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