
Steven Gerrard
久しぶりにスティーブン・ジェラードのことを書いてみたくなりました。
ジェラードといえば、地元リバプール出身のスカウサーで、アカデミー時代からレッズ一筋にやって来たレジェンド中のレジェンドです。
キャリアの最晩年にはアメリカへ渡りましたが、あの時のことを私はよく憶えています。
当時、リバプールの監督を務めていたのはブレンダン・ロジャーズ。
知将タイプの人で、プレミアリーグ優勝まであと一歩というところまでは行きました。
リバプールファンの多くは、スティービーがいるうちに1度でもプレミアリーグを制覇したいと願い。
スティービーがアメリカへ渡る決断をするシーズンのこと、私の記憶を辿ると、まずチャンピオンズリーグの対レアル・マドリード戦でスタメンから外され、ベンチに座っていた姿がありました。
また、同じシーズンでのスティービーの誕生日には、多くのファンや同僚達からお祝いのコメントがあふれる中、なぜかスティービーはベンチスタート。
当時にあって、キャプテンも務めていたスティービーにとっては、おそらく心中思うところがあったことでしょう。
よく知られる話として、スティービーが自ら語っていますが、真剣に移籍を考えたのはキャリアで1度だけだったといいます。
それは、当時プレミアリーグで常勝ともいえる戦績を残していたジョゼ・モウリーニョ率いるチェルシーからのラブ・コール。
結果、スティービーはその誘いを断り、リバプールに残る選択をしたのは、結構有名な話です。
さて、そのスティービーですが、彼の自伝の中で、幼い頃にマンチェスター・ユナイテッドのシャツを着ていたことが回想されています。
当時は、ユナイテッドのユニフォームを着ることが何を意味するかを知らなかったのだと。
スティービーによれば、幼い頃はブライアン・ロブソンに憧れていたのだとか。
ブライアン・ロブソンのプレイは、私もよく見ましたが、簡単にいうとマンチェスター・ユナイテッドのレジェンドです。
友達とヒュートンの団地でボールを蹴っているときに、スティービーはブライアン・ロブソンのユニフォームを着ており、それを見つけたお父さんが激怒したと😅
どうも、友達の1人がそのグッズを持っていたようです。
Steven Gerrard
友達の1人が、ロブソンのシャツを持っていたんだ。
青と白のダッシュ模様が入った、昔のやつさ。私は、『ちょっとの間ロブソンになってもいいか?』と訊いてね、それでリバプールのシャツを脱いでロブソンのやつを着たんだよ。
それは最高の気分だった。
1時間くらいそのシャツを着て、駆け回り、激しくタックルに飛び込み、勇敢なゴールを決めて、ロブソンになりきっていたんだ。(その光景をお父さんに見つかり雰囲気が一変)
運悪く、父が窓の外を見ていて、烈火のごとく怒ったんだ。
『今すぐ家に入れ!』って怒鳴られたよ。
ドアをくぐるや否や、めちゃくちゃ怒鳴られてね。『お前、いったい何を考えてるんだ?マンチェスター・ユナイテッドのシャツなんか着て!』と父は言った。
『でも、父さん、これはブライアン・ロブソンのシャツだよ』と私は説明したのだが、父はまったく聞く耳を持たなかったよ。
『そんなことぐらい分かってるはずだろ』と言い放たれたってわけさ。それはユナイテッドのユニフォームだった。
父は、自分の息子がジェラードの名をヒュートンの路地で汚すなんて絶対に許さなかったんだ。『近所の人たちは何て思うんだ?』ってね。
真剣に、引っ越さなきゃいけないんじゃないかって思ったよ。
まだ子どもだったけど、ユナイテッドのシャツを着たせいで、父に家から追い出されるんじゃないかって本気で思ったんだ。
私はよく、「スカウサーだけにファンから特に愛される」というようなことを書きますが、スティービーの言葉を改めて見ると、リバプールに生まれる意味というものが伝わって来ますね。
クラブマンとして、多くの栄光をつかんだスティービーですが、悲願のプレミアリーグ制覇だけはできなかった。
さらに、イングランド代表では、史上最高と呼ばれるタレントを揃えたチームも機能せず。
もしかしたら、そんなところにファンの一部はそこはかとない悲劇性にも似たものを感じ、よりスティービーを愛するのかもしれません。
私自身、スティービーにプレミアリーグのトロフィーを掲げさせてあげたかった。
その夢は叶いませんでしが、スティービーこそ最も愛されたレジェンドであるということに何の傷も付けてはいません。