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ヒルズボロの悲劇から36年  祈りを捧げましょう


1892年6月3日に設立されたLiverpool FC。
長い歴史を持つクラブであり、幾多の栄光を勝ち取って来た人気チームでもあります。
しかし、その長い歳月の中には、あまりにも悲しい出来事もあった。

その悲劇は、1989年4月15日に起こってしまいました。
栄光に満ちたリバプールのクラブ史において、この日は決して忘れてはいけない日となり。

ヒルズボロの悲劇について少しだけ触れてみると、次のような出来事でした。
シェフィールドのヒルズロボスタジアムで開催されるはずだったFAカップ、リバプール対ノッティンガム・フォレストの試合で発生したあまりにも悲しい事故。
ゴール裏のスタンドに収容能力を超える観客が入場し、スタジアムが崩壊するという惨劇に。
この悲劇により、96人のファン、その尊い命が失われています。
後年、もうお1人が亡くなっており、今はヒルズボロの悲劇への黙祷を捧げる際には『97』の文字が描かれています。

スタジアムへ入ろうと押し寄せた観客に責任があるような言われ方をしたこともありましたが、長く検証を求めて来た結果、警備、誘導体制に不備、過失があったことが判明、認定されるに至りました。
ここに至る道は本当に長かった。

リバプールとノッティンガム・フォレストは、当時のイングランドを代表する2チームであり、ヨーロッパレベルでも覇権を競い合う強いライバル関係にありました。
リバプールが黄金時代を築いていた頃、イングランドのフットボールを牽引していたのは、リバプールとノッティンガム・フォレストであり、それはアーセナルでもなければ、マンチェスター・ユナイテッドでもなかった。
その両者が対戦するのですから、当時の熱狂は幾ばくのものだったか。

ヒルズボロの悲劇を大きなきっかけとして、イングランドはスタジアムの安全性を高めるための対策を打っていくことになります。
お年寄りからお子さんまでが、安心して通えるスタジアムに。
そういった意識を再認識させる出来事であったことは事実です。

リバプールでは、毎年4月15日には、犠牲になったファン、お1人、お1人の名前を呼び、慰霊を続けています。
レジェンドであるケニー・ダルグリッシュもずっと遺族に寄り添うことを続けて来た。
97人のファンが命を失った悲劇、その犠牲者の中には勿論若者や子どもさんもいらっしゃいました。
この日にあたり御霊よ安らかにと祈りを捧げたいと思います。
You’ll Never Walk Alone.

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