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謙虚でおだやかな人間性をもった指揮官がリバプールに最大の栄光をもたらした ボブ・ペイズリーが監督に就任した日

Bob Paisley


歴史と伝統を誇るリバプールというクラブ。
これまで幾多の名選手や名指揮官がクラブに携わって来ましたが、今日取り上げる人ほどリバプールに栄光をもたらした例はいまだありません。

51年前の今日、1974年7月26日にはボブ・ペイズリーがリバプールの監督に就任。
カリスマ、ビル・シャンクリーの後任という形です。
ボブ・ペイズリーがリバプールの監督を務めたのは1974年〜1983年の9シーズン。
この9シーズンという期間中、驚異的な成功を収めており幾多のトロフィーをリバプールへもたらしました。

■イングランド・トップリーグ:6回(現プレミアリーグ)
■リーグカップ:3回
■ヨーロピアンカップ:3回(現チャンピオンズリーグ)
■UEFAカップ:1回
■UEFAスーパーカップ:1回
■チャリティー・シールド:6回

これだけの成果を上げるには、よほど強烈な監督だったのだろうと思いがちですが、ボブ・ペイズリーは人間性にあふれおだやかな気性の持ち主でありました。
意外なのですが、とにかく話をすることが苦手で、ビル・シャンクリーの後釜という話を断ろうと本気で思っていたといいます。

ただクラブは、ボブ・ペイズリーの人間性や戦術眼を高く評価しており監督就任をプッシュ。
ここに名将の旅が始まることになりました。

またボブ・ペイズリーは人を見る目が傑出していたと言われており、それは補強だけではなく自分の選手がプレーをしている状態をみて何かあれば真っ先に気付いたといいます。
例えばふたつほど例をあげてみると、こんな逸話が残っています。
アラン・ハンセンを獲得する際のこと、スカウトは細身の体格を不安視していたものの、ボブ・ペイズリーは「この選手は頭脳でフットボールをする」と即答。
そのアラン・ハンセンは、後に伝説的なセンターバックとなりました。

意外に思われる方々もいらっしゃると思いますが、元々ボブ・ペイズリーは、クラブの理学療法士でもあり、選手の身体的な不調にも非常に敏感でした。
あるとき試合中に選手の走り方を見て「股関節だな」と診断し、実際その通りだったという逸話も残っています。

話が苦手な人だったと書きましたが、ボブ・ペイズリーが語った言葉にこんなものもあります。
「私は有名になどなりたくなかった。ただチームが勝ってくれればそれでよかった」
人柄をも愛されたボブ・ペイズリーは実に謙虚な人で、その人物がイングランド、ヨーロッパを席巻したのですからお伽噺のようなことでした。

リバプールに黄金時代をもたらした名将にして巨星、ボブ・ペイズリーがチームを率いていた際、ごく一部ですが当時在籍していた選手を数人あげておきたいと思います。
51年の歳月が流れてもなお、KOPから愛され尊敬される偉大なる指揮官です。

ケビン・キーガン FW
ケニー・ダルグリッシュ FW
グレアム・スーネス MF
アラン・ハンセン DF
フィル・ニール DF
テリー・マクダーモット MF
レイ・クレメンス GK
ブルース・グロベラー GK

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Toru Yoda

ただの埼玉の隠居です

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