先ほど、プレミアリーグ第10節のブライトン対リバプール戦が終了しました。
試合は、1-1のドローで終わっていますが、この結果に満足をしているリバプールファンが、世界中にどれだけいるか?というような後味の悪いものではありました。
リバプールの現状を考えたとき、更に超過密日程でもあるし、プレイの質を云々することは酷だと思いつつ、いろいろな意味でやるせないルールであったりジャッジであったり・・・。
このままでは、フットボールの醍醐味は失われ、大切なプレイヤー達が何人怪我をしていくのか。
波乱の幕開けか?と思われたのは、19分のことでした。
ネコ・ウィリアムズが、ボックス内で相手を倒しPKを献上。
しかし、このときはPKが失敗となっています。
その後34分に、モハメド・サラーがゴールネットを揺らします。
流れ的にも素晴らしいもので、さすが!と思わせてくれましたが、VARが介入し、判定はオフサイド。
お得意の数センチ足が出ていた的なシーン。
これでは、エキサイティングなフットボールを観ることは出来なくなるのではないかとさえ思えます。
それでもリバプールは先制ゴールを奪います。
60分のこと、アンディ・ロバートソンが相手を軽くあしらって左からモハメド・サラーにパス。
モーは、近くにいたディオゴ・ジョタへ繋ぎ、その後のディオゴ・ジョタは、非常に優れた動きを見せています。
ボールを持って右へスライドしながら自らシュートコースを作り、右足で相手ゴール左隅へ蹴り込みました。
私は、負傷者が多いリバプールの現状を知っているし、過密日程なのも分かっていますから、結果を取れば満点だと思っていました。
それが、VARがそれ以降もついてまわります。
まず、83分のこと、セットプレイからロボがクロス。
高い打点のヘッドでサディオ・マネがゴールネットを揺らしたものの、これもVARでオフサイド。
このゴールシーンは、確かにオフサイドだったと思いますが、試合の流れが途切れる分、何やら心的ダメージを負うような印象が残ります。
さらに、疲れている中、5分のアディショナルタイムを取られ、試合終了間際にロボのクリアシーンが相手の足を蹴ったとVARで判定されPK。
90+3分にPKを決められドローとなっています。
私、個人的には、今日のロボは、攻守にわたり本当によくやってくれていたと思います。
PKを取られたシーンも、明確にクリアに行ったキックであり、あれをファールにされてはロボが可哀想。
それでも判定だし、受け入れなければいけないのかもしれませんが。
リバプールにとって暗雲が立ちこめたシーンは、他にもありました。
72分に、ジェイムズ・ミルナーが座り込み、腿裏をおさえている絵が。
おそらく、ハムストリングかと思われます。
ミリーは、ずっとプレイを続け奮闘して来ていたし、無理がたたったのだと思います。
名誉の負傷とでも言いましょうか。
この時点で、既にネコ・ウィリアムズをベンチに下げ、ミリーが右サイドバックを担当していましのたで、リバプールにサイドバックはいません。
何と、カーティス・ジョーンズが右サイドバックとして投入されています。
さらに、ナット・フィリップスが競り合い時に強くピッチに躯を叩き付けて倒れた際は、本当にひやりとしたものでした。
鉄人ミリーも負傷。
このままのペースで試合を続けて行ったら、ジョルジニオ・ワイナルドゥムだってリスクがあると思います。
ジニまで負傷をすることになったならば、リバプールにとって痛手では済みません。
さて、気持ちを取り直して、もしリバプールが勝っていたら、私が誰をマン・オブ・ザ・マッチに選んだか?
それは、アリソンだと思っていました。
リバプールでの100試合となった日に、まさか2本のPKがあるとは。
本当にプレミアリーグは、このまま3人交代枠を維持して行くのでしょうか。
VARの運用は、これでいいのでしょうか。
疑問が湧いて来る試合ではありました。
ブライトンといえば、アダム・ララーナですが、途中からピッチインしたものの、数分でドレッシングルームへ下がっています。
カメラでは遠い位置になっていましたが、ボディ・コンタクト等がない場所で、アダム・ララーナがうずくまりそうになっている姿を私は見ました。
仕草からして、おそらく鼠径部を痛めたものと思われます。
きっとララーナは、リバプールと戦いたくなかったのだ。
そんな言葉が脳裏をよぎったものでした。
軽傷であることを祈ります。
この試合で、リバプールは3人の交代枠を使っています。
■64分:サラー → マネ
■73分:ミルナー → ジョーンズ
ミリーの交代は、おそらくユルゲン・クロップ監督のプランを狂わせた。
私が思うには、最後の1枚では、ボビーかジョタ、あるいはジニを下げたかったのではないでしょうか。
それも過密日程と交代枠の枚数から来る業・・・。
プレミアリーグは、これからどうして行くのか。
何やら、フットボールとは何かという原始的なことを考える必要性が生じているようにさえ思えます。