ケビン・キーガンの名前を思い出すたびに、私は自分が小学生、中学生だった頃のことを思い出します。
当時、リバプールを応援しはじめて、自分の部屋にはケビン・キーガンのポスターを飾っていた。
そんな少年時代でした。
いわゆるアイドル的存在。
今日、2月14日は、そんなケビン・キーガンの誕生日ですね。
ハッピー・バースデー!
ケビン・キーガンは、1951年生まれですので、68歳になりました。
リバプール在籍中は、小柄な躯でピッチを無尽蔵のスタミナで走り回り、リバプールファンからこよなく愛された7番。
人は、そんなケビン・キーガンをマイティー・マウスと呼び、拍手を送ったものでした。
リバプール在籍中、ケビン・キーガンは、323試合に出場し、100ゴールを記録しています。
ケビン・キーガンの才能に目を付け、リバプールへと連れて来たのは、あのビル・シャンクリー監督。
名伯楽の眼力ですね。
ケビン・キーガンもビル・シャンクリー監督の期待にこたえ、リバプールの不動のエースとなっていきます。
リバプールへやって来たのは、1971年のこと。
同年8月14日にデビューを飾っています。
思えば、私が海外フットボールに目覚め、リバプールファンになった時期と、ケビン・キーガンのリバプールでのキャリアは、ほぼ一致していて、そういった意味でも、特別な思い入れがあるレジェンドです。
リバプールに黄金時代をもたらす先駆けとなったケビン・キーガン。
今で言うところのバロンドールも2度授賞しており、高く評価されたプレイヤーでしたが、不運なことにワールドカップでは活躍をすることが出来なかった。
この悲劇性もケビン・キーガンの魅力になっているとさえ、私は思います。
当時のイングランドは、まだ古典的なスタイルから完全には脱却できておらず、また大きかったのは、2大会連続でヨーロッパ予選において、イタリアと同組に入ったこと。
接戦の末、イングランドはイタリアにワールドカップ出場を譲っていました。
晴れて、イングランドがワールドカップ出場を果たした際には、ケビン・キーガンはピークを過ぎており、怪我も負っていたことから、満足なプレイが出来ませんでした。
それでも、ケビン・キーガンがリバプールで成し遂げたものは偉大であるし、当時のイングランドにあって、時代を先取りしたプレイスタイルを持っていました。
今でも、時折アンフィールドで姿を見かけますが、いつまでもお元気で!と、言いたいと思います。
これからも素晴らしい人生を!