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ジョーダン・ヘンダーソンはブレンダン・ロジャーズから持ちかけられたリバプールを離れる話を断っていた

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Jordan Henderson


いまや、リバプールのキャプテンとしてチームの中心にいるジョーダン・ヘンダーソンですが、ブレンダン・ロジャーズがリバプールの監督に就任した当時は、あまり重用されず、放出候補だと報じられたこともありましたね。
当時よく言われていたのは、ヘンドのプレイスタイルが、ブレンダン・ロジャーズ監督の望むものに合わないということでした。
しかし、ヘンドは腐ることなく、監督に認めてもらうために、必死にトレーニングを重ねたというのは、当時よく耳にしたことでもあります。

チャンピオンズリーグ決勝が迫り、ヘンドは以前のことを回想するかのように、Daily Mailに過ぎし日のことを話したそうです。

最初に簡潔にまとめてしまうと、ヘンドは、ブレンダン・ロジャーズ監督から、移籍するように言われたとのこと。
そのときは悲嘆にくれたそうですが、リバプールを離れることを断った。
そういう趣旨の発言です。

ここでは、ヘンドの発言のごく一部であり、私なりの言葉ではありますが、まとめてみたいと思います。

(Jordan Henderson)

ブレンダンは、ぼくを呼び出して言ったよ。
「聞いてくれ、これはオファーだ」とね。
その上で、彼はぼくがどう思うかを訊いてきたんだ。

彼は、ぼくを去らせることを暗示してきた。
ぼくは、自分の部屋へと戻った。
涙が出たよ。

泣けてしまった。
とても傷ついたからね。

ぼくは、代理人に話をし、何が起こっているかを伝えたよ。
そして、ぼくは言ったんだ。
出て行きたくないとね。

ぼくは残りたかったし、ファイトしたかった。
トライし、改善し、監督が間違っていることを証明しよう!と思ったよ。
ぼくの代理人も、そのことに同意をしてくれたんだ。

ぼくが父に話をしたときには、父は衝撃を受けていた。
でも彼は、ぼくがファイトし、トライすることを後押ししてくれたんだ。

そんなことがあり、ぼくは、望むほどに試合に出られることはないことが分かっていたんだ。
でも、ぼくはまだ信じることをやめなかったよ。
うなだれている場合ではないくらいに、ぼくは十分に若かったからね。

ハードワークをし続け、より多くのことをやり、彼(ロジャーズ)が間違っていることを証明しようとしたし、彼がリバプールを去る頃には、ぼくはそれが出来ていたと思うよ。

フットボールでは、そういったことは、常に存在するものだよね。

人生においては、行くべき道を決めることが出来る。

ぼくにとって、(リバプールを)去るという選択肢はなかったんだ。

ブレンダン・ロジャーズ監督がやって来て以降の時期を思い出してみると、ケニー・ダルグリッシュ監督が獲得してきた数人のプレイヤーが、放出候補として取り沙汰されていたと思います。
ヘンドもその一人でした。

普通ならば、自らを認めてくれる指揮官の元へ行くことを決断するのではないでしょうか。
しかし、ヘンドは、リバプールを出てゆくことを拒否した。

認めてくれないならば、ハードワークをすることで、監督が間違っていることを証明してみせる!
そういう気概があったのですね。

今回の話は、事実だと思います。
当時、ヘンドは努力でポジションを勝ち取ったと、リバプールファンの多くが理解していましたし。

そんなヘンドが、いまやスティーブン・ジェラードから受け継いだアームバンドを巻いて、チャンピオンズリーグ決勝の舞台に立とうとしています。
ヘンドの両腕が、高々とトロフィーを掲げる姿を想像しながら、決戦の日を待ちたいと思います。

ヘンドこそ、リバプールのキャプテンを託すにふさわしいということは、スティービーも言っていたこと。
いろいろなことがあった中、いまはアンカーとしてプレイをするヘンド。
まさに、扇の要ですね。

キャプテンとして、最高の舞台が一週間後に迫ってきました。

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