1892年に設立されたリバプールFC。
輝かしい黄金時代をもつ偉大なるクラブ。
きら星の如く、レジェンドと呼ばれる存在がクラブ史上に、その名をつらねているわけですが、私としては、やはりビル・シャンクリーこそが、リバプールというクラブのメンタリティー、その始祖だと思っています。
今から42年前の今日、1974年7月12日。
ビル・シャンクリーは、リバプールの監督の座を去ることを発表しました。
極めて普通の表現をするならば、「一時代の終焉」ということになるかと思いますが、私としては、ことビル・シャンクリーに関しては、その言葉は当たらないと考えています。
「新たな扉を開いた時」と、言いたい。
なぜなら、ビル・シャンクリーは、素晴らしい後継者を育て、そのDNAを受け継いだボブ・ペイズリーが、リバプールをヨーロッパ最強のクラブへと進化させていったからです。
最近の出来事を例にとれば、たしかにアレックス・ファーガソンは、プレミアリーグにおいて偉大な足跡を残し、成功を勝ち取ったかもしれない。
しかし、指導者として重要な仕事をひとつ忘れていた。
後継者の育成。
ビル・シャンクリーが、リバプールの監督に就任したのは、1959年のことで、当時のリバプールは下部リーグに低迷していました。
そんなリバプールを監督就任わずか3年目にしてトップリーグへと引き上げ、1964年には、トップリーグ昇格2年目にして、リバプールにリーグタイトルをもたらしています。
また、ビル・シャンクリーは、人間としても地元ファンから、こよなく愛されました。
幾多の明言の数々もそう。
私は、いつか近いうちに、ビル・シャンクリーの名言集を書いてみたいと思っているのですが、今回は、特にお気に入りの言葉をひとつだけご紹介。
「フットボールは生きるか死ぬかの問題だと言う人がいる。だが、それは間違っている。フットボールのほうがずっと重要なんだ」(私訳)
ビル・シャンクリーは、まさにリバプールが黄金時代を迎えるために、畑を耕し、種を蒔いた人だと思います。
リバプールには、長い歴史がありますが、常にその根底を流れているのは、ビル・シャンクリーの血であり、魂ではないでしょうか。
ビル・シャンクリーが、リバプールに別れを告げた日・・・と書きましたが、自分自身、それは正確ではないと知っています。
リバプールを更なる飛翔へと導いた日。
1981年9月29日。
ビル・シャンクリー没。
されど、今もアンフィールドは、シャンクリーゲートに見守られ続けています。