リバプールと私

七転び八起き 苦しいけれどLiverpoolファンへの感謝は忘れない

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今日も一日が終わろうとしています。
皆さん、良い日をお過ごしでしたか?
まず、真っ先に言わせてください、いつもありがとうございます。

少年時代、もっと具体的にいえば小学生、中学生時代の私は、もっと自信にあふれていたと思います。
おそらくその要因は、体力的に恵まれていたことが大きかったですね。
運動も、結構得意でしたし、
ただ、高校2年生の3学期に予期せぬことが起きました。
眠りにつく頃から胃のあたりが気持ち悪くなり、明け方にかけて激しい腹痛に変わったものです。
激痛でしたので、親を起こして一言、「病院へ連れて行ってほしい」。
このとき、「アンフィールドへ連れて行け!」と言っていれば、私の人生は変わっていたかもしれません。

朝の5時に病院へ。
しかし、病院(内科)での対応は冷たいもので、「これくらいのことでどうして来たの?」という感じでした。
痛み止めを打っておくから、しばらく部屋で寝て行きなさいと言われたものです。
激痛は治まらず、何度かナースコールをしたのですが、「さっきも痛み止めを打ったでしょう。少し我慢しなさい」と。
誰にも頼れない私は、寝かされた個室の空き室で独り痛みに耐えていました。
窓の外は日が落ち、夜の訪れが分かりました。
朝5時に病院へ来て、ああ、もう夜か。

すると、体に異変を感じました。
痛みが遠のいて行ったのです。
指は動かなくなり、唾液は出なくなり。
ただ、朦朧として行くことだけが分かったという状態に。

やがて、院長とおぼしき医師と外科医が私の部屋に入って来ました。
触診をして、「すぐに手術を。全身麻酔で」という言葉が聞こえたことは憶えています。
結論から言うと、最初は急性虫垂炎、いわゆる盲腸だったわけです。
しかし、長時間放置されたことで破裂。
術後の経過も悪く、体力は落ちて行くばかり。
肝機能障害も起きて来て、体重は40kgを切っていました。
思えばあの時私は、生と死の境を行き来していたのですね。

そんな経験をした私。
なーんだ、あの時命を拾っていたじゃないか。
正直、今の生活は苦しいです。
詳しくは後日書きますが、私は官公庁に就職し、なぜかエリートコースを行き、将来の幹部だと噂されました。
どんどんどんどん仕事、仕事の生活に染まってしまった自分。
そして家族を失いました。
今、寂しいです。

激務も受け入れて、身を粉にして働いた。
何度か倒れたけれども、病気は自己責任。
それでも私は職場を恨んだことはなかったし、むしろ感謝しています。
ただ、失ったものも大きく、今はこんな孤独な貧乏。

でも、そんな私にもLiverpoolファンの皆さんがいてくださった。
読者の方々が、いてくださった。
私が「厳しいです」と告白したとき、助けてくれた方々。
それも、あたたかいメッセージを添えて。

夜は、少し正直になり過ぎるようです。
今日も私は生きています。
ありがとうございました。
あと2日で、プレミアリーグ開幕ですね。
こんな私ですが、今シーズンもどうぞよろしくお願いします。
お付き合いください。
Liverpoolファンの皆さんへ心からの感謝を込めて。
YNWA

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