
Harry Kewell
リバプールファンから絶大な期待をもって迎えられた選手がいます。
かつてリバプールで活躍をした選手達を振り返っている企画も第9回目。
今回はハリー・キューエルを取り上げてみたいと思います。
当時、キューエルがどれほど期待されていたか?
それはおそらくリバプールの前に所属していたリーズでのインパクトが強烈だったこともあったと思います。
しかもキューエルはオーストラリア人にしてリバプールの7番を背負っていました。
7番といえば、リバプールにとって栄光のナンバーですから。
先にリーズ時代の印象的なエピソードから取り上げますと、キューエルが所属していた当時のリーズは2000年に開催されたチャンピオンズリーグのグループステージでバルセロナを2-1で撃破するという大金星。
この試合でキューエルは、1ゴール1アシストという活躍を見せ、バルセロナを相手に左サイドを完全に支配していました。
この頃のキューエルは、広くヨーロッパでも最も注目される若手選手の1人として数えられるように。
キューエルがリバプールにやって来たのは2003年のことで、以降2008年まで在籍をしています。
才能あふれる選手で、左ウィングとしてプレーをしたりミッドフィールダーとしても高いスキルを見せていました。
ただ、リバプール時代におけるキューエルのキャリアは怪我との戦いであり、特にハムストリングや鼠径部、足首のトラブルが長期離脱の原因になってしまいます。
どれほど才能があっても怪我に泣かされるケースはありますね。
そんな彼を象徴するような出来事は2005年のチャンピオンズリーグ決勝でした。
ここですぐに思い浮かぶ方々もいらっしゃると思うのですが、これはイスタンブールの奇跡と呼ばれるミランとの対戦。
キューエルはスタメン出場したものの、23分という早い時間帯で負傷交代。
後日、深刻な鼠径部の負傷だったことが明らかになっています。
イスタンブールの奇跡を起こしたメンバーの1人であり、しかもスタメン!
ここにもキューエルと怪我という不運な巡り合わせがありました。
キューエルの不幸は、それだけに留まりませんでした。
リバプールファンの間で語り継がれる一戦として、2006年のFAカップ決勝があります。
再び大舞台にスタメン出場するも、またも負傷により途中交代。
試合は劇的な展開となりリバプールがPK戦を制して優勝。
何かイスタンブールの奇跡を想起させるキューエルの怪我ではありました。
リバプール時代、怪我との苦悩についてキューエルはこんなことを言っています。
「本当に落ち込むときがあった。家に帰って泣いたこともある。なぜ自分の身体がこんなにも壊れ続けるのか、理解できなかったよ」
もし、キューエルに怪我がなかったら。
これが当時のレッズファンに宿っていた気持ちでもありました。
それでも華麗なプレーはファンを魅了したし、辛い中にもインパクトを残したタレントだったように思います。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
以下、拙著に関してです。
Liverpoolを愛するファンへ捧ぐ THIS IS ANFIELD (1892文庫)
Kindle本、紙本のいずれかをチョイスいただけます。
ぜひ、よろしくお願いします。