
Jay Spearing
お疲れ様でございます。
今日もまた一段と暑いですね。
私はといえば、家族の介護をしつつお墓参りへ行き、その時あまりの暑さに目眩がしそうになりました。
生きていればいろいろなことがありますが、皆様によくしていただき、私は幸せ者だと思っております。
さて、これまで思い出に残る選手達をご紹介してきており、今度が第6回目となります。
今回取り上げる選手は、ものすごくスーパーな記録を残したわけではありませんが、地元KOPから親しまれ、こよなく愛されたミッドフィールダーです。
無論、リバプールのアカデミー育ちであり、大きな期待を寄せられていたファイトあふれる選手。
名前はジェイ・スピーリング!
スピーリングについては、地元出身の若手ということで注目度も高いものがありました。
それに、非常にファイトができるタイプで、その点もファンから愛された由縁だと私は思っています。
出身地ですが、非常に細かく厳密にいえばマージーサイド州ウィラル、ウォラシーですが、ここはリバプールの近隣であり、リバプール出身ということで一般的には言われています。
スピーリングがリバプールの門をくぐったのは1997年で、彼が9歳の時。
順調にステップアップを果たし、2007年にはトップチームに昇格を果たしています。
トップチームに在籍をしたのは2007年〜2013年で、その間公式戦には55試合の出場を記録しています。
ポジション的にはディフェンシブ・ミッドフィールダーであり、スティーブン・ジェラードと被る部分があったものの、スティービーが負傷欠場をした際などにはスピーリングが穴を埋める仕事をしておりました。
タイプ的には、エレガントということではなく、タフで献身的なスタイルを信条としており、常に一生懸命貢献しようとする姿は地元ファンから高く評価されていたことも事実です。
このスピーリングですが、実はリバプールのトップチーム在籍時において4人の監督の下でプレーをしています。
その4人とは...
ラファエル・ベニテス(2004–2010)
※スピーリングをトップチームに昇格させた監督。
ロイ・ホジソン(2010–2011)
ケニー・ダルグリッシュ(第2次)(2011–2012)
ブレンダン・ロジャーズ(2012–2015)
あえて言えば、スピーリングを可愛がり、最も重用したのはケニー・ダルグリッシュでした。
私が思うには、地元出身の彼に、キング・ケニーも期待をかけていたのではないでしょうか。
リバプールを去った後にスピーリングは、ボルトンやブラックプールなどでプレーをしていますが、ここにリバプールとの深いご縁が実感される事実が待っています。
2022年のこと、リバプールのU18アシスタントコーチとして帰って来たスピーリングは、兼プレーヤーとしても復帰を果たしました。(兼プレーヤーはアンダーカテゴリーのオーバーエイジ枠)
リバプールとは切っても切れない縁で結ばれた地元ボーイ!
器用とは言えないもののあふれ出すファイティングスピリットが魅力の選手でありました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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