
Roberto Firmino
深い悲しみに沈むアンフィールド、さらには世界のフットボール界。
こんなとき、私はある選手のことを自然と思い出します。
彼は、周囲をほっとさせる何かをもっており、数多くのリバプールファンから愛されました。
ロベルト・フィルミーノ
10年前の今日、2015年7月6日にはロベルト・フィルミーノのリバプール加入が正式に決まっています。
昨日のことのように思い出されますが、もう10年が経ったのですね。
フィルミーノがリバプールへ来そうだ!
という報道が増えて来た頃、私の記憶ではコパアメリカが開催されており、ボビーはブラジル代表、セレソンとしてこの大会に出場していたと思います。
そんな夏の7月6日にボビーのリバプール入りが決定。
フィルミーノがリバプールへ加入した際には背番号は11でした。
やがてモハメド・サラーがリバプールへ加入すると11番をサラーに譲り自分は9番に。
あの時の思い出としては、11番のユニフォームを購入してしまったファンのためにボビーは送り返してくれればサインをするということもしていました。
人柄ですね。
さて、ボビーがリバプールへやって来た時期の指揮官はブレンダン・ロジャーズでした。
ちょうどリバプールが、如何ともし難い閉塞感に陥っていく時期。
ボビーの起用法は定まらず、その実力を発揮することができませんでした。
同年10月、シーズン途中でユルゲン・クロップが監督に就任するとボビーに新しい役割を与え、以降大活躍をしていくことになります。
私の見解ですが、ユルゲン・クロップ監督が具現しようとしたフットボールにはボビーの存在が必要不可欠だった。
また、ボビーも監督の期待によく応えた。
やがて、サディオ・マネがリバプールに加入、モハメド・サラーもやって来ることにより、リバプールは世界に猛威を振るうフロントスリーを完成させるに至るのでした。
今思い出しても、ボビー、サディオ、モーのスリートップはヨーロッパ最強だったと思います。