リバプールと私

読者の皆様への感謝と私の身上に関すること 進み続ける気持ちを持って

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いつも本ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
皆様の存在があるから、私はリバプールの発信を続けていられるのだ!としきりに思っています。

アメブロ時代から数えれば執筆は13年を超え、ほぼ毎日更新。
記事数にすると、ゆうに10万記事は超えました。
我ながら、よくこんなに続いたものだと思いますが、読者の皆様のサポートがあったからです。

私が、今置かれている状況については、過日お知らせしましたが、多くの方々から助けていただき感謝の気持ちで一杯です。
7月を超えることが出来ました。

一昨日の金曜日に職場の長、医師、組織内にいる保健師さんと相談をしました。
病状から8月いっぱいは休養を取り、9月1日から復帰となったことをまずご報告させていただきます。
私の場合、複数以上の病気を治療しているのですが、やはり最も厄介で怖いのが鬱です。
以前にもお話しましたが、初めて鬱を体験したのは33歳のときで、「まさか自分が!」と信じられない気持ちでした。
初めての経験でしたので、戸惑うというより絶望に近いものがありました。

鬱になると、様々な症状が出るわけですが、分かりやすい例をあげると、お風呂に入りたくない、歯磨きをしたくない、体が動かない、人が怖い・・・など。
その上で、よくあるケースが「死ぬしか方法はない」と思い込んでしまうことです。
実際私も、何度となく死を選択しようとしました。

私が幸運だったのは、東京に名医がいらっしゃると聞き、そこでの治療に切り替えたことでした。
時間はかかりましたが、元気に戻りましたよ。
鬱になった時の職場は、まさに地獄で、今なら間違いなく労災だったことでしょう。
それを乗り越えた後、少しは楽な職場へ行けるか?と思いきや、次々に配属される難しい案件を抱えたヘビーな仕事。
私は鬱を再発するのですが、どのときも同じで、仕事をやり切って終わらせた後にダウンしてしまいました。
今でいえば、燃え尽き症候群、バーンアウトというやつでしょうか。

きっと、仕事をしていた頃の自分は間違っていた。
何でも仕事優先で、家族のことなど顧みませんでしたから。
仕事、仕事、仕事・・・という日々。
いつの間には、家庭は崩壊していました。

60歳を過ぎて、今は嘱託という立場で仕事のお世話になっています。
それでも悲劇は待ってくれず。
昨年の夏、娘夫婦が事故により突然いなくなり。
残された孫を、私が1人で育てております。

七五三とて、何もしてあげられないので、せめて写真くらいはと撮ったものです。
この子が成人するまで、私は働き続ける意思を固めています。
宝ですから。

読者の皆様には、何度もお世話になり、お願いをして本当に恐縮ですが、8月の生活が何とかなるまで、少しずつでもご支援(寄付)いただけないでしょうか。
あつかましいお願いであることは分かっています。
罵倒されても仕方がありません。
ただ、今の自分には収入が入ってこず、9月からは職務復帰しますので、8月を凌ぎたいのです。

ご無理な金額ではなく、ご負担にならないお気持ちをもし分けていただけるなら、これ以上有り難いことはありません。
皆様のご支援があれば、私は復活できる!
自分では、そう確信しています。
返す返すも、ご協力いただける場合には、ご負担にならない程度でお願い申し上げます。
これまでに頂戴した寄付は、孫にかかる費用、食費、光熱水費などに充てさせていただきました。
食費は、私は一日一食を続け、最大限の節約をしております。

もし、ご協力賜れる場合には、ブログの各記事上部にある(OFUSEで応援する)からお願いいたします。

もう、まさに恥を忍んでのお願いとなります。
気持ちを強く持ち、あと1ヶ月の療養期間で立ち直り、再び進む所存です。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

依田 透

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