
■勝利よりも、記憶に残っている光景がある
リバプールを応援して来た中で、強く記憶に残っているもの。
それは、勝利の瞬間ばかりではありません。
むしろ、うまくいかない時だったことこそ、私の記憶は濃いものになっているような気さえするのです。
試合の流れが悪く、スタンドにも不安が漂うはずの場面で、それでもアンフィールドの歌声が途切れなかった光景の方が、私の中では鮮明に残っているような。
声援、歌声は、勝っているときだけのものではなかった。
苦しいときほど大きくなり、ピッチに立つ選手たちの背中をしっかりと押して来たアンフィールドの事実があります。
■別れの場面にも、敬意があった
リバプールでは、別れの場面にも独特の空気があります。
他のクラブへ去った選手が、
違うユニフォームでアンフィールドに戻ってきたとき、
ブーイングではなく、
スタンディングオベーションが送られることがあります。
すべての別れが美しいわけではありません。
それでも、かつて同じ時間を過ごした選手に対して、敬意をもって迎え入れる姿勢が、アンフィールドというスタジアムには根付いていた。

■敵味方を超える拍手
忘れがたい光景が、もうひとつあります。
相手チームの選手がピッチ上で倒れ、しばらくして自らの力で立ち上がった瞬間のことです。
スタンドから自然と湧き上がる拍手。
敵か味方かではない。
フットボールを戦う者へのリスペクトが、言葉ではなく、行動として示される。
これは、私にとって、まさに理想形だったのです。
それは誰かに命じられたものではない。
長い時間をかけて、
クラブとサポーターが育ててきた
「振る舞い」そのものなのだと私は思います。
■暗黒時代にも失われなかったもの
リバプールには、いわゆる暗黒時代もありました。
結果が出ず、タイトルから遠ざかり、忍耐を強いられた時間は決して短くありません。
それでも、このクラブが大切にしてきた本質は、一度も失われなかったように思うのです。
勝敗よりも前に、
どう戦うのか。
どう人を敬うのか。
そして、どんなときでも自分たちは何者であるのか。
その答えは、
スタンドの振る舞いに、
スタジアムの空気に、
そしてクラブの佇まいそのものに表れていたように思えて仕方ありません。

■勝敗を超えた場所にあるもの
だから私は、リバプールを見続けてきた。
勝ったからでも、強いからでもないということが私の正直な気持ちであり思いです。
もちろん、応援しているチームが強ければ、率直に嬉しい!
その歓びは形容する言葉もないほどです。
それでも、
結果を超えた場所に、
このクラブの価値があると、
何度も教えられてきたからだと自分自身は感じています。
それは声高に語るものではない。
ただ、長い時間をかけて、
変わらずそこに在り続けてきたという歴史であり事実。

■時代の目撃者として語り継ぐこと
1892年に産声をあげたリバプール。
長い歴史の中では、歓喜あり悲しみあり、幾多のドラマがありました。
この長い歳月を通じて常に変わらなかったものは、KOPが語り継ぐ文化だと私は思っています。
あのレジェンドのことを実際に見たかのように熱く語る人々。
リバプールのファンとして、私は小さな存在でしかありません。
それでも、ひとつの瞬間を目撃し、それも時代になる。
自分にできることは限られているとはいえ、静かに、謙虚に、私なりに語り継いでいければと願っています。
