リバプールと私

なぜ、苦しい時ほどリバプールを思い出すのか

YNWA is not just about winning.

人生が順調な時に、リバプールを深く思い出すことは、私にとっては正直あまりないように思います。
心が軽く、明日を疑わずに迎えられる日には、フットボールは、楽しみなスポーツであり、ある時には娯楽でしかない場合もある。

けれど、眠れない夜。
理由もなく不安が押し寄せてくる時。
自分という存在が、この世界から少し浮いてしまったように感じる瞬間。

そんな時、なぜか私はリバプールを強く思い出すのです。

それは勝利の記憶ではない。
華やかなゴール集でも、トロフィーを掲げる場面でもない。
自分でも不思議なほどに。

思い出すのは、ミスをした選手が俯いたまま立ち尽くしている姿や、敗戦後のアンフィールドに、静かに流れる歌声。

リバプールというクラブの不思議なところは、
「うまくいかなかった瞬間」にこそ、
その本質が現れるところだと思うのです。

ゴールを外しても、
致命的なミスをしても、
スタンドはすぐに沈黙しない。

むしろ、歌う。
拍手を送る。
「分かっている」、「一人じゃない」と伝えるように。

You’ll Never Walk Alone

この言葉は、決して勝者のための合言葉ではない。
うまく歩けなくなった者のために歌われる言葉なのではないでしょうか。

私自身、人生の中で何度も「立ち止まる時間」を経験してきました。
誠実に生きてきたつもりでも、結果が伴わないことはままありと。

自分を責め、
恥じ、
情けなさに押しつぶされそうになる夜もあったものです。

そんな時、アンフィールドの光景が浮かぶ。

あのスタンドにいたなら、
私は責められないのではないか。
「なぜできないんだ」とは言われず、
ただ、隣で歌ってもらえるのではないか。

リバプールは、

「強くなれ」とは叫ばない。
「今のままでいい」とも、安易には言わない。
ただ、「一緒に歩こう」と歌う。

だから、このクラブは世界中にファンがいるのだと思うのです。
成功者だけのクラブではない。
挫折を知る人間、弱さを抱えた人間の居場所でもあるのだとの思いが、私の胸の奥底に刻まれています。

勝利至上主義の時代にあって、リバプールはどこか不器用なところがあります。

それでも、
負けた選手を切り捨てず、
調子を落とした者を信じ続ける。

その姿勢は、人生に似ているように思えて仕方ありません。

誰もが常にベストでいられるわけではありません。
それでも歩き続けるためには、結果よりも「支え」が必要な時もあるのではないでしょうか。

だから私は、苦しい時ほどリバプールを思い出す。

そこには、孤独を叱る声ではなく、孤独に寄り添う歌があるからです。

今日もどこかで、
立ち止まっている誰かのために、
アンフィールドは歌っている。
私は、かなりの確信をもって、そう思っているのです。

それがあるからこそ、リバプールは世界中にファンを持ち、特別なチームとしてリスペクトされるのではないでしょうか。
少なくとも、私はそう思っています。

ありきたりの言葉に過ぎますが、私はリバプールを好きでよかった!
間違いなく、その思いを心の中に抱いています。

You’ll Never Walk Alone

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